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東京高等裁判所 昭和44年(ラ)482号 決定 1970年6月17日

抗告人 有限会社八嶋設備工業所

相手方 第一旭設備工業株式会社

主文

一、原判決を取消す。

二、東京地方裁判所所属の書記官が同裁判所昭和四四年(手ワ)第一三一五号約束手形金請求事件の手形判決につき付与した執行文はこれを取消し、これに基づく強制執行は許さない。

三、本件手続費用中第一審につき生じたものは抗告人の負担とし、第二審につき生じたものは相手方の負担とする。

理由

抗告代理人は主文と同趣旨の裁判を求めた。

抗告理由は別紙「抗告の理由」のとおりである。

よつて判断する。

一、本件のような強制執行停止決定が発せられた以上、速かに確実にその趣旨の実現せられるべきことはいうまでもない。ところで、もし停止決定があるにもかかわらず執行文の付与が許されるとすると、執行債権者が執行債務者の有する債権に対して転付命令による執行をなした場合には、その命令が執行債務者及び第三債務者に送達されると同時に執行が終了するので、執行債務者において執行停止の実効を得るためには、転付命令の申請後直にその執行裁判所に停止決定正本を提出しなければならない。しかし、いつどこで強制執行の申立がなされるかも知れないのに、執行裁判所を予測して右申立のなされることに注意することは事実上不可能であり、さりとて予測される執行裁判所にあらかじめ停止決定を提出しても、現実に強制執行の申立のない以上右裁判所においてそれの受理され得ないことも明らかである。したがつて、一旦執行文が付与されてしまうと、転付命令の送達以前にその執行を停止しうる余地は殆どなく、転付命令による執行にかんするかぎり、執行停止決定の実効を挙げることが困難であることは抗告人の主張するとおりである。

二、しかしながら、

執行文の付与は、強制執行に先立つて債務名義の存在、執行力等を公証する行為にすぎず、本来執行停止の対象となる狭義の執行行為でもないし、実質的に考えても、執行文の付与は、転付命令による執行のみではなく、その債務名義に基づくあらゆる執行のためになされるのであるから、転付命令の場合に不合理の生ずる故をもつて執行文の付与が許されないとすれば、執行の開始がおくれる等、執行債権者に不測の損害を生ずる虞れなしとしない。なお、転付命令による執行が正当でなかつた場合には、不当利得返還請求による補償の方途が残されている。

したがつて、転付命令による執行の場合に前述の不合理があるからといつて、執行停止決定の発せられたことの故をもつて執行文の付与を許されないとすることはできない。

よつて抗告理由は採用できない。

三、しかし、債務名義が有効に存在するか否かは、執行文付与にあたり職権で調査すべき事項であるところ、当裁判所の職権調査(裁判所書記官中山裕作成の昭和四五年五月四日付および同年六月五日付各電話聞取書参照)によると、本件債務名義である東京地方裁判所昭和四四年(手ワ)第一三一五号約束手形金請求事件の仮執行宣言付手形判決は、その後右判決に対する異議申立事件において取消され、昭和四五年三月中右取消の裁判確定によりすでにその債務名義としての効力を失つたことが認められる。そして、債務名義としての効力のないことが明らかな場合には執行文の付与は許されないのであり、抗告裁判所もその裁判の前に生じた右事情を斟酌すべきであるから、原決定を取消し、本件債務名義に対する執行文の付与を取消した上これによる執行を許さないことを宣言することとし、手続費用につき民事訴訟法第九六条、第八九条、第九〇条を適用し、主文のとおり決定する。

(裁判官 川添利起 荒木大任 田尾桃二)

(別紙)

抗告の理由

一、本件は相手方(原告)抗告人(被告)間の約束手形金請求事件の手形判決に対し、相手方の申請により東京地方裁判所のなした執行文付与に対する異議申立事件である。

本件手形は抗告人が相手方に詐取されたものであつて人証はあるものの書証のないために右手形訴訟に於て昭和四四年五月二九日抗告人敗訴の判決あり、抗告人は即日右手形判決に対し異議の申立をなし翌三〇日強制執行停止決定を得た。

然るに同庁民事第七部書記官は抗告人が前記執行停止決定正本を提出したにも拘らず同年六月六日相手方の申請により右手形判決に対し執行文を付与した。

ところで抗告人は本件手形の不渡処分を免れるために予託金を予託しているので、相手方より右手形判決に基く強制執行としてこれに対する転付命令を発せられては、抗告人が右執行停止決定を得た効もなく右予託金は相手方に転付され、後に通常訴訟に於てこの手形判決の仮執行が失効した際相手方に右予託金の返還乃至損害賠償を求めても、無資力であり且つ詐欺的行為の常習者である相手方よりこれを回復することは不可能に属する。これは執行停止決定があつたに拘らず右手形判決に執行文を付与したために生ずるものであり、抗告人はこれを是正するため本件異議の申立をなしたものである。

二、原決定は、執行停止決定は相手方の執行行為を停止するものであつて債務名義の執行力を停止するものではないから、執行力の存在を公証するにすぎない執行文の付与を妨げることにはならないとして右異議申立を却下した。

勿論執行停止は行為段階に於る停止であることには争ないが、執行文付与が如何なる性質のものであるかについて考えてみると、これにより執行力を与えるものではなく執行力の現存を公証するものであるが機能としては債務名義に示された権利実現の第一段階であつて既に実行の行為段階に入つたものといえる。

蓋し執行力の存否に関する抗争即ち債務名義作出までの抗争は裁判部門の問題であるが、それ以後の権利実現のための手続はもはや裁判部門ではなく執行部門というべきであるから、執行文の付与は執行行為の段階に入つたものといえる。

従つて執行停止決定があつた以上これを知りつつ執行行為を援護助長すべき執行文付与はなさるべきではない。

又実際問題として債権差押転付命令はその送達の途端に執行が終了してしまい、債務者は知らぬ間にその手続がなされあつという間に終了してしまうので切角執行停止決定を保有しながらこれを行使して執行を防止する余地が全くない。それ故かかる場合には執行文付与の段階に於てこれを抑止しない限り執行停止決定は有名無実となること自明の理である。

三、兎角の技巧的理論は別として執行を停止するとの裁判あるに拘らずこれを無視して敢て執行させるために執行文付与をなすことは裁判の否認に通ずるもので、国民の裁判に対する信頼を失う由々しい結果を生ずることにもなり、著るしく正義に反するといわなければならない。

四、原決定によれば、執行停止決定正本を予め予想される管轄執行裁判所に提出してその後に債権者から強制執行の申立があつた場合に問題にすべきものであるとのことであるが、それは観念的な議論であつて実際的には不可能である。仮りに一般的に考えて予想される管轄執行裁判所が一ケ所なりとしても(二ケ所以上予想される場合もある)、その裁判所で果して債権者から何時債権差押転付命令申請がなされるか不明であるのに債務者より提出された執行停止決定正本を予め受理することができようか。執行申請があつて始めて事件が係属し、しかるのち停止決定正本の提出を受理するのであり、事件係属前には決してこれを受理することはない。現に本件についても予想管轄執行裁判所である東京地方裁判所民事第二一部では、抗告人が予め前記執行停止決定正本を提出して受理方を求めたに拘らず、未だ相手方よりの執行申請なく事件未係属を理由にその受理を拒絶しているので、抗告人はやむなく同部に日参して相手方の執行申請を待ちうけている次第であり、その非現代的な事務処理の態容は滑稽でさえある。斯様な点からも原決定は実務に合わない理論を展開している。結局執行文付与の段階に於て執行を阻止する以外に転付命令を阻止する方法がないのに、執行停止決定がなされているに拘らず此事を知りつつ、敢て執行文を付与することは裁判所が不正に協力することにもなり著るしく正義に反するといわなければならない。ことに手形判決の場合にこの傾向が著るしく、みすみす不正者に金員をうばわれることを黙認するかの如くである。

五、要するに、執行文付与は債権者の執行のためにのみなされるものであるから、右付与前に強制執行停止決定がなされ同決定正本が提出されたときは執行文を付与すべきでない。

仍て抗告の趣旨通りの裁判を求める。

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